心の動きにフォーカスした45巻。アツい戦いの中で語られる感情と実際に言葉として交わされる感情。どちらも大事で大いに着目すべき点がたくさんありましたね。 1
このあたりとか、太一から新にメール来てるって聞いた途端自分にも連絡が来てないか確認する千早は、やっぱり太一の存在も気にかけていることがわかって嬉しくなりました。(連絡来てなくてがっかりもしてる笑)

あと周防名人と兼子ちゃんとの会話、兼子ちゃんが見に来ているから負けたくないと明確に勝負に拘る名人。このあたりは、これまでの展開とは一転した新しい展開でしたね。正直ノッて無いように見えた周防名人のエンジンに火がついたようで、これからどうなるか楽しみなフリとなっています。

2 ドキドキしながら太一の連絡を見る新。友達でありライバルである同年代の同性。戦っていなくても意識しあってることがわかってここも嬉しい。 太一が出したこのメール、新は大会中に見ることになってしまったが朝から届いていたのは文面から読み取れる。きっと太一も言うべきかぎりぎりまで悩んだのでしょう。でも周防さんの目が見えにくくなっている状況は、小学生の頃にメガネを隠して新に”ハンデ”を背負わせた太一と状況が似ている。病気と作為的に起こしたハンデでは天と地ほどの差はあれど、”ハンデ”の中で勝利することの後味の悪さを太一は知っている。とくに大真面目な新のことだから、後からハンデがあったことを知ったら何を考えるかわかったもんじゃない。だから、同じ思いをさせまいとあの頃の太一にはできなかった「戦いの前にハンデを受け入れる」機会を作ることにした。そんなように読み取れました。


そんなこんなで始まった第3戦はこの対比も面白い。
新は千早のことを”天才”と評すが、千早の努力・成長・過程を知っている面々は”天才じゃない”と評す。新の考えがあっさりと否定される形になるのは珍しいというか、なんだか新鮮な描写です。残念ながらこれが何を意味するのかまではわからないですが、千早の最初の一歩を知っていることを誇りに思う新に釘を刺す描写なのでしょうか。


そして一番の描写は
千早「太一は「たち」と「たれ」とか」
というセリフでしょうか。これは、第3戦を千早が勝利するために太一が力を貸したというフリに使われたようにも見えますが、この場合は歌の意味に意味があると思うんですよね。
3
「たち」:たち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む

意味

別れて因幡の国へ帰ったとしても、因幡の稲葉山の峰に生えている松ではないが、あなたが待っていると聞いたならば、すぐに帰ってこよう。 引用元:百人一首16番 「たち別れ…」の意味と現代語訳


「たれ」:誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに

意味

いったい誰を本当の友人にしようか。あの高砂の松も古いとはいえ、昔からの私の友人というわけではないのだ。 引用元:百人一首で始める古文書講座【歌舞伎好きが変体仮名を解読する】


いつも千早を支える松のように太い幹として土台となり、振り向いてくれることをずっと待っていた太一。松=太一と考えていいだろう。そんな太一が一歩踏み出し消え入る声で振られてしまったことで、ふっと消えてしまった。「たち」の句では一度離れ離れになった後に、まだ待っていてくれるというなら帰りたいという思いを謳っている。この帰りたいはどのような気持ちで帰ることを意味するのか。そして「たれ」の句では、昔からいるあの存在は友人ではないという認識を謳っている。そしてその「たれ」の札を迎えに行くように手を伸ばして手中に収める千早。札が浮いて見えるのは千早の”聴こえる”なんだと35巻では言われていました。聴こえたんでしょう太一の”声”が。


これ完全に退場したと思われた太一が三角関係に復活した瞬間だと思うんです。太一の言葉を借りるなら”出番がない”と切り捨てられたはずだったが、実はまだまだわからないそんな45巻。
35 引用:ちはやふる35巻

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